基本方針

カメラを工業製品から芸術作品へ

現代のカメラは、どれほど高性能でも「工業製品」として扱われます。
しかし私は、カメラにもっと深い価値があると信じています。

カメラには、造形美があります。
緻密な構造と技術の結晶があります。
文化と記憶を焼きつける力があります。

それは、美術館に飾られている芸術作品と、本質的に何が違うのでしょうか?

私は、人生をかけてこの問いに答えたい。
そして、たった一人でつくり上げたこの手作りカメラで、
カメラという存在を工業製品から芸術作品へと昇華させます。

工業製品を超える精度

私は、すべての部品を自ら設計し、削り出し、組み立てています。
そこには一切の妥協がありません。

たとえば、ボディにはダイカストでは不可能なSUSやチタンを使います。
手作りだからこそ、量産品には適用しづらい高性能な材料が使用できるのです。

精度も妥協がありません。各部品の寸法はμ(ミクロン)単位で現合し、一本ずつ最適化します。

製造効率ではなく、性能と美しさの極限を目指します。
それは「手作りだから精度が甘い」ではなく、
「手作りだからこそ量産品を超える精度」を実現できるのです。

「何で撮るか」に価値が宿る時代

今は、誰もが高性能なカメラや画像編集技術を手に入れ、”良い写真”は簡単に作れるようになりました。
けれども、その便利さの中で、「写真を撮る」という行為の意味は、少しずつ軽くなっているように感じます。

だからこそ私は、「何で撮ったか?」という問いに価値が宿る時代が来ると信じています。

それは、ただの撮影手段ではなく、自分の美意識や思想、時間の使い方を込める道具。
私の作るカメラは、そのための選択肢です。

過去への敬意と未来への継承

私のカメラづくりは、かつてこの国に数多く存在したカメラメーカーと、
その中で人生をかけて設計・製造・調整に携わった技術者たちへの敬意から始まります。

彼らが生み出したカメラたちは、今や中古品として数百円で扱われることもあります。
しかしそこには、確かに人の夢が、執念が、芸術が宿っていたはずです。

私のカメラは、それらの「志」を現代に引き継ぐ灯火でありたい。
工業製品として終わるのではなく、芸術作品として、次の100年に繋ぐ存在でありたい。

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